改訂・北海道面白川名散歩 No.0004

【より身近な川】

 最近の一戸建住宅は1~3階建てが普通になり、屋根が高く、しかも北方型住宅とかで自動的に雪を落としたり無落雪構造のために、人が屋根に登ることはほとんどできなくなりました。また、マンションなども次第に大型化・高層化され、事故防止のためにも屋上に登ることはほとんどできません。つまり屋根は、お空と室内を隔てるためだけのものとなってしまったワケです。

 私は子供の頃から煙のような性格で、よく屋根に登って楽しんでいました。苔むした柾屋根の古い家だったので、親たちには「屋根が痛む、穴があく」と、よく怒られました。平屋建てで低かったのですが、屋根に登ると景色が変わるだけでなく、空がぐーんと近くなったようで気持ちが良かった。

当時はアルミ製の脚立や梯子などはなく、屋根に登るためには木製の重い梯子をかけなければならなかった。その重い梯子をかけるときは、よろける身体をふんばり音を立てないようにするのが大変だった。

「北海道河川一覧(北海道土木協会編)」に「梯子沢川」という名前を目にして忘れていた子どもの頃の景色がよみがえった。

●長屋沢川/長屋(ノ)沢川

何と身近さを感ずる名前ではありませんか…と思うのは私くらいの年代まででしょうか。今どき長屋と聞いてピンとくる人は少なくなったでしょう。どう見ても長屋と大差ない建物でも、私の子供の頃にはすでにアパートと呼ばれるようになっていましたから…。

この名前の川はオホーツク海側に2つあります。一つ目は佐呂間別川の支流で、サロマ湖に注ぐ芭露川の支流・西の沢川にあり、2つ目は頓別川の最上流部にある支流の一つです。

こういう名前は以外にもアイヌ語名であることが多いのですが、頓別川の方は変電所の沢川という支流を持っているので、発電所か鉱山関係の住居があったのかも知れません。

●ヒサシ川/ニカイ沢川

ヒサシ川ではまるで樋(とい)のようであるし、ニカイ沢川では天井から雫が落ちてきそうですけど、楽しい名前ではありませんか…。

茶路川を遡ると、中茶路で左岸にさりげなく入り込んでいる小川がヒサシ川。茶路川と両隣の庶路川・音別川は、さりげない支流を無数(!)に持っている川ですが、そのほとんどに名前が付けられています。

ニカイ沢川は、上ノ国町・寅の沢にある寅の沢川の唯一の支流です。

●梯子沢川

この名前の川も2ヶ所にあります。1つは、八雲町・落部にある落部川支流の下二股川の支流です。落部川は支流・枝沢を20本以上も持っているのに、前述庶路川・茶路川・音別川などとは反対に、名前の「北海道河川一覧(北海道土木協会S59年版)」に登録された支流は7本しかありません。古い地図には名前を見出すんですけど…ど~しちゃったんでしょうね~。

2つ目の梯子は、熊石町・関内に流れる関内川に架かっています。この梯子は7キロもの長さを持っているので、豆の木登り名人・ジャック以外には登り切るのはむずかしいでしょう。

●囲の沢川/御囲川

イボタかヒバの生け垣の陰にでも流れていそうな名前ではありませんか…。いや「囲い者」なんて言う言葉もありますから、だ~れかさんがだ~れかさんに囲われていたお屋敷近くの川なのかもしれません。

上ノ国町を流れる天野川が、5キロほど遡った桂岡で苫符(トマップ)川を分けます。この支流は奥が深く、13キロも遡って下の沢山に分け入る川です。上流部で滝の沢川・沼の沢川という2本の沢を分け、囲の沢川は沼の沢川の枝沢です。

【もっと身近な川】

 ひょっとすると、みなさんのお部屋の中にも川は流れているかもしれませんから、ちょっと見わたしてみてはいかがでしょうか…。これらの名前を見ると、生きてるのが冗談のような私でも、頭の中が?マークでいっぱいになってしまいます。

電話の下に川が流れていては、ベルの鳴るたびに水が吹き出しそうで心配ですが、ヒジの下ではまるで自分が散水車のようでたまりません。でも、床の中ではたまらないどころか、こっそりとフトン干しをしなければならないカモ川…。

●電話下川

増毛町・雄冬はかつて陸の孤島と呼ばれ、他の地域との連絡は船でしかできなく、時化ると何日も孤立したといいます。現在は国道231号が通じ、石狩方面へも留萌方面へも、いつでも向えるようになりました。

ここの海岸線は、秀峰・暑寒別岳の山裾が日本海に落ち込んでいる所で、雷電海岸の狩場山と似たような条件なのですが、一層の雄大さがあります。その雄大な海岸線にこのナサケナイ名前の川があります。

浜益村から北へ向かい、雄冬岬で一番長いガマタトンネルと雄冬トンネルを抜けるとじきに増毛町との境界ですが、そこに一の滝川・二の滝川・電話下川と3本の川が並んでいます。

●時計の沢川

この川へ釣に入る方は、あらかじめ「入川のしおり」をお読みください。そこには次のようなことが書かれています。

『この川は年中釣り放題ですので、入川許可を得る必要はありません。釣り竿や釣り餌を忘れては釣りにはなりませんが、時計を忘れても時刻は1キロごとに設置してある水位計で知ることができます。水位計には12に分割された目盛りが刻まれ、水位は1時間刻みに増減します。午前は増水し午後は減水しますが、満水時の水勢はかなりのものがありますので、正午前後には川内に立ち込まないでください。増水時に下川することはかなりキケンですので、日常的にタイミングのずれ気味な方は減水時をお待ちください。

なお、この川は電話の発明には貢献できませんでしたが、世界中にあった水時計はこの川の自然現象をヒントにして作られました…ナンテことはありませんよ~。

斜里川水系エトンビ川支流・カクレの沢川管理事務所、時計の沢川出張所。清掃奉仕・斜里町チックタック商店会青年部』(余計な注! カクレの沢川には管理事務所はありません。また、斜里町にはチックタック商店会なる名称も組織もありませんので念のため)

●ヒジノ下川/鼻先沢川

白神川という荘厳な名前の川があります。松前町・白神岬近くに流れる川ですが、その川から西へ2・5キロほどの所に、これもナッサケナ~イ名前のヒジの下川があります。

国道228号で白神岬を西に回り込むと、天狗川・白神川・スズキノ沢川・荒谷川・ヒジノ下川と、小さな川々を渡ることになります。

ヒジの下ならぬ鼻の下は余り長くすると笑われますが、鼻先の川でしたらごく近い所に流れているように感じられる名前です。

しかし、仕事柄よく農村・漁村に行くことがありますが「近くだ…すぐだ…」という言葉は例外なく鵜呑みにできません。「となり」「うら」は数キロ、「ほんのちょっと」「ものの5分」は10キロから15キロも離れた所を指す言葉なのです。ですから「目と鼻の先…」と聞いても、決して都会の感覚ですぐそこかな~…などと思ってはイケマセン。

後志利別川が、国道230号を導いて今金町・種川を過ぎると、何を思ってかくねくねとしながら東に大きくふくらんで、思いなおしたように北上し美利河峠へと向います。そこで左岸に下シブンナイ川・ホンシブンナイ川を分けますが、そのさらに上手に上シブンナイ川・鼻先沢川と並べて放っています。

●床前川/床中の沢川

島牧村から国道229号で瀬棚町に向います。通称雷電国道と呼ばれるこの道は、磯の景色が道内屈指の美しさを見せる所で、霊峰・狩場山が日本海に落ち込む海岸はとくに険しく、大小のトンネルを10以上もくぐらなければなりません。

禁漁河川の千走川から南へ向かい10本ほど小さな川を渡ると、時々釣り雑誌でも紹介されている小田西川を渡ります。素晴らしい渓流ですが、それだけに入渓にはちょっと勇気のいる川です。小田西川河口からさらに南下して、数えること7つ目のトンネルが、トンネル内に島牧と瀬棚の境界線を持つ茂津多トンネルで、このトンネルに入る直前で渡る川が床前(トコマイ)川です。

床中の沢川は、沙流川の最上流部の小支流です。

日高町から十勝に向うと、沙流川本流が右になり左になって、国道274号を日勝峠に導いています。右岸側は、鵡川との間に日勝峠に連なる尾根が続いていて大きな支流はないのですが、左岸側には千呂露(チロロ)川・パンケヌシ川・ペンケヌシ川・ウエンザル川と、枝沢を何本も持つ支流がいくつか分れています。

ウエンザル川の上手には、直接本流に注ぐ小支流しかなくなり数字名が多くなるのですが、床中の沢川は左岸の二の沢川と三の沢川の間に挟まれて本流に注いでいます。

これらの床はきっと熊のものに違いない…と、無知を誇る自称釣り師は独り合点しましたが“床”には意外な意味がありました。

「床掘り」という言葉がありまして、墓掘りを指していたのだそうです。床前・床中は、墓地前・墓地中を指しているのかも知れません。

ものにはついでで墓地に関連してもう一つの川名を…。

台座に楕円形の石を搭せた墓を“卵塔”又は“蘭塔”といい、そのような墓碑のある墓場を「蘭塔場(ラントーバ)」と呼ぶのだそうです。

椴法華村・元村に乱塔(ラントー)川という名前の川がありますが、字が違うのではたして墓地を意味する名前かどうかわかりません。また、奥尻島南東部の松江にはラント川という名前の川もありますから、意味不明ながらアイヌ語の可能性もあります。(続く)